貯蔵庫

日記、ぶつける当てのないもやもやを置いておく場所

スポッチャで爆散

2021年の暮れ、26歳、生まれて初めて妻と2人でラウンドワン スポッチャに行った。


私と妻は二人ともド級のインドア人間である。とにかく運動が嫌いである。
その存在は知っていた。CMでゴールデンボンバーがきらきらの笑顔ではしゃぎ倒す様を風景として、眺めていた。コロナ渦、県外へ旅行へ行くこともできず、目標もなくずるずると過ごす日々。なにか普段と違うことがしたくて、無理をしたのだ。正直めちゃくちゃ行きたくないけど行った。妻も乗り気ではなかった。改めて振り返ると、誰が何のために行ったのだろう。

川崎駅に降り立ち、適当な大戸屋でとんかつを喰らい、真っ赤なシャトルバスに搭乗する。乗客は私と妻のみ。荒い運転に胃袋の中を揺さぶられる。それにしても、どうしてどこのどのシャトルバスの運転手も全員運転が荒いのだろうか。十数分のドライブの後、鏡張りの巨大な建物が前方に見えてくる。安くない入場料を支払い、ロッカーに荷物を預け場内へ。

日に焼けた中高生の集団の笑い声と子供の泣き声が轟く、混沌としたフロア。非常に居心地が悪い。端的に言い表すと"陽"の空気が満ち満ちていて、息苦しさすらを感じる。ああ、場違いなところに来てしまったんだなと思う。
妻が見ている手前、そっと帰りたい気持ちをパンツにねじ込み、テンションと声のボリュームのつまみを2段階上げる。CMで見た、牛の形をしたでかい人形にまたがり、ブンブコ振り回される遊具に走って向かう。ヘルメットと防具を身につけた私はそれに必死にしがみつき、粘り強く座り続けた。その間ずっと無言。声が出なかった。私自身にこういう場での楽しみ方が全く身についていないのだ。私こういう時、どんな顔をしたらいいかわからないの。

ダーツもビリヤードも、各々の卓が楽しそうに大きな声ではしゃいでいて、近づくことができない。私はきっと一生触らないまま死んでいくんだな、とこの時思った。彼らも私の目には能天気で楽しそうには映るけれど、期末テストへの不安であるとか、親とのいざこざであるとか。彼らなりの切実な問題を抱えて、今を生きているんだよな、などと思うことにした。

小さなサーキットのような円形のグラウンドを足首までがっちりローラースケートを履き、ぐるぐるとまわる。私以外が。妻は案外器用なもので、私を置き去りにし、ぐるぐるの一部になっている。私は震える足と腰、背中までぶるぶるとふるわせて自立しているのがやっと。脚を上げたら絶対にずっこける。同じような境遇に置かれた女子高生が目の前でずっこけて笑い転げている。そんなもの見せられたら私はもう終わりである。くの字に体を曲げながら、グラウンドのヘリの壁にしがみつく。全身に力をこめすぎて、あらゆる箇所が痛む。もううんざりである。どこでどれを試しても、全くうまくいかない。私はやるせなさとはずかしさと、情けなさに包まれながら壁伝いにグラウンドを出る。妻も気を使って出てきてくれた。とことん迷惑をかける。


こうして振り返ってみても、完全に場違いであったなと感じる。
どれだけ徳を積めばいいかは分からないけれど、この場所で無邪気にはしゃぎまわれるような人生が送ってみたいと思った。あれは陽のパワースポットだな。いつかは私も気の合う友達とだるそうに3on3をやりたい。あと5人集めないといけないが。「男だけで来ても楽しくねーよ」と言いながら缶のスプライトを飲むのだ。

待ってろよ、スポッチャ。

 

今週のお題「何して遊んだ?」